『F』HOUSE DIARY

底冷えの激しい築50年2階建てのお家から2017年4月小林住宅で3階建てW断熱のお家に建て替えました!5人家族のブログです。

健康は家族を幸せにする!〜早すぎる祖母の死〜

こんにちは〜みゆぼんです(*゚▽゚)ノ

 

みなさん、GW後半楽しんでますでしょうか?

私は肉体労働に勤しんでおりました(笑)

体はバキバキでございます〜(苦笑)

 

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めっちゃ頑張って歩いたで〜!平日は1万歩は歩いてる( ̄▽ ̄;)

このおかげで3キロのダイエットが出来たんですよ!

まぁ、これまでの自己管理の甘さがこんなことを招いているのですが・・・

この調子で8月に受ける人間ドッグに向けて頑張りたいと思います(*゚▽゚)ノ

年齢的にもですが、健康には気をつけなければいけないと思う今日この頃です。

 

健康は家族を幸せにする!

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健康体に産んでくれた母に感謝

私は超健康体なので、こんなことを書いたら反感を買いそうで怖いのですが、ちょっと病弱っぽい方が色々と気にかけてもらえてちょっと羨ましいなぁ〜なんて思うこともあったり・・・アラフォーおばさんが何言ってるんだか(笑)

しかし、この健康体が私にはあったから3人の子育てが出来ているんです。こんなに健康体に産んでくれた母に感謝!!!

健康が何より大切であると言うことを間接的に経験?出来たことは良いことも悪いことも私にとって財産なんではなかろうかとつい最近になって思うようになりました。そんなことを今日から数回に分けて書こうと思います。

しかし、明日も健康と言う保証はどこにもありませんけどね。

 

小学5年生で母を亡くすということ。

そんな健康体の私を産んでくれた母なのですが、母の母?簡単に言うと私の祖母は母が小学5年生の時に病気で亡くなりました。病気がちだった祖母は入退院を繰り返していたと聞いているので、きっと母は辛い思いをいっぱいしたんだろうなと思います。

小学5年生と言うと我が家の長男くんと同じ年齢です。「死」と言うものもちゃんと理解できる年齢だけど・・・まだまだ親の存在は大きいと思います。

悲しみが深すぎて涙が出ない

幼かった私は何も考えずにその話を聞いた時に率直に母にこんなことを聞いた。

「お母さんが死んだ時、どんな気持ちだったの?」

 

すると母は

「悲しむより明日からしなければいけないことが多くて泣けなかった。夜になるとお母さんいないんやって思ったら急に悲しくなったなぁ」

母は当時、父(祖父)と2歳年上の兄と暮らしていたため、家事は小学5年の母がしていたと言っていました。

母親の存在は大きいからこそ健康でいたい

その時は「ふ〜ん、そうなんや」ってその話はそれで終わったけれど、自分が母になりそのことを思い出すたびに心が痛くなった。

だって小学5年って言ったら思春期に入る時期、体や心の変化を相談できる相手はやっぱり母親だと思う。男はわからんけど。

特に娘が小学5年生くらいの頃に、今ここで私が死んだら娘はちゃんと暮らしていけるのかなぁ。なんて娘の姿を重ねながらそう思っていました。きっと祖母もそんな思いを持ちながら亡くなっていったのだろうな。。。

母は祖母が33歳で亡くなったので、自分もそこまで生きられるのか常に不安に思っていたようです。きっと母もそう思いながら私を育てていたんだろうと思いたいです。

 

長くなってきたので続きは次回に書きたいと思います。